武者小路実篤 『お目出たき人』

お目出たき人 (新潮文庫)

お目出たき人 (新潮文庫)

 はっきり言って読み終わって数日が過ぎた今でもこの作品に対して混乱している。武者小路実篤は何を訴えたかったのか? 別に何も訴えていないのか?

 もしも、何も訴えていないのであれば、少し安直な内容だと思った。全体のあらすじはこうだ。

 主人公はある女性を好きになる。とにかく、ほかの女性が目に入らなくなるくらい好きになる。そこで、知人を通してその女性に好意があることを伝えてもらう(余談だけれど、『知人を通して』という件は今読むと遠回りでもどかしいやり方だが、当時は自然なやり方だったんだろう。志賀直哉等の同世代の作家の作品でも頻繁に出てくる行動だ)。そして知人を通して聞いた返事はNoだった。しかし、主人公は思う。「断られたのはまだ女性が若いからだ」と。
 その後もストーカー的な妄想を繰り広げ、「女性は本当は自分のことが好きだが、親に止められている」とかただひたすらに自分に都合の良い方向に物事を考える。あくまで、自分と結婚することが彼女の幸せなのだと信じてやまない。最終的にその女性は別の男と結婚してしまうが、それに対しても「やさしい彼女は親の言いなりになってしまい、好きでもない男と結婚してしまった。今でも彼女は自分と結婚したがっている」と信じる。

 そう。まさにおめでたい人なのだ。

 このような人物を描くことで武者小路が何を訴えたかったのかを考えた。しかし、まだ分からない。すぐに考え付いた説を羅列していつか理解できる日を待ちたいと思う。

 説1: 人間の理想は突き詰めれば、こんな馬鹿げたことになるという皮肉

 良く恋愛に関してこんなアドバイスを聞く。「とにかく相手を信じろ」「好きならば諦めるな」「愛は盲目的であれ」、と。さらに言えば、「相手に恋人がいようが、奪う気持ちでいけ」とも聞く。それをただひたすらに実行に移したのがこの主人公なのではないだろうか? とにかく盲目的で、相手を信じ、相手に恋人がいようとも曲がらないその気持ちは酷くまっすぐだ。

 しかし、読んだ人は十中八九「馬鹿な男だ」と考える。ここに恋愛の”一般的な”理想論を突き詰めていくとこうなってしまうという皮肉を感じた。

 説2: 理想はこうあるべきだというメッセージ

 これは、まさか無いと思うが、武者小路の理想の恋愛感がこうであるというのは0%ではないかもしれない。ただし、そうだとしたら、読者から共感を得にくいという点で失敗だったのかもしれない。思い込みかもしれないが、武者小路は理想像を書く作家に見えるから、この説を思いついた。


 もっと深いメッセージがあるのだろうか。それを考えること自体が間違っているのかもしれない。